「国民を戦争に巻き込むことは非常に簡単」~ヘルマン・ゲーリング

2023年01月13日

日本共産党吉川市議員団の毎週金曜日の会議は学習会をしています。元社会科教員の方にもご参加いただき、本やパンフレット、様々な資料などを読んだりしています。
更にご参加くださっている元社会科教員の方が毎週、「今週の知ってるつもり」という文書を作成し、読み上げてくださいます。その週にあった過去の出来事などを紹介してくださる文書です。

今日のテーマは「ヘルマン・ゲーリング(1983~1946)」でした。ゲーリングのお誕生日は1月12日、昨日がお誕生日だったということでのご紹介でした。
ゲーリングはヒトラーの信認が厚かったナチスドイツの幹部の一人です。

ヒトラーに認められ後継者に指名される

ヘルマン・ゲーリングは優秀な成績で士官学校を卒業し、第一次世界大戦(1914~1918)に空軍将校として参加し、大活躍しました。しかし敗戦によってその栄誉は失われ、戦後は輸送機のパイロットとして生計を立てていたそうです。
1921年にミュンヘンでヒトラーの演説に遭遇し、意気投合してよく22年にナチスに入党。野性味のある外観からヒトラーの信認を得て突撃隊を組織し、党内の地位を高めていきました。
1928年にはナチスから選挙に立候補して当選、国会議員となりました。32年には国会議長、33年にヒトラー内閣が成立すると入閣します。
その年、国会議事堂放火事件が起こり、共産党員の仕業とされましたが、ゲーリングが画策したのではという疑いも色濃くあります。というのも、ゲーリングは秘密国家警察(ゲシュタポ)の創設にもかかわっていたからです。
34年になるとヒトラーに対する路線の違いが明らかとなったレーム(突撃隊超)や突撃隊員を殺害し、前首相シュライヒャーなどを粛清し、ヒトラー周辺の競争相手を排除することに成功します。
こうしてゲーリングはヒトラーの第一の側近となったのでした。

国家元帥としてヒトラーオ戦争政策を支える

1935年、ヒトラーはベルサイユ条約を破って再軍備に踏み切りました。新たにドイツ空軍を創設し、ゲーリングを総司令官に任命します。
更にゲーリングは軍備優先の経済体制を確立するための4カ年計画の総監にも指名されました。
ゲーリングは国民を前にこんな演説をしました。

「私ははっきり話さなければならない。我々にはバターがない。しかし私は質問したい。諸君はバターと大砲のいずれを欲するか。ラードを輸入するか、それとも金属製品を輸入するか。いいか諸君、備えあれば憂いなしという。バターは我々を太らせるだけだ」。
孔子ていつの間にか再軍備の路線が既成事実となっていったのです。

1939年第二次世界大戦がはじまると当初は空軍が大きな成果を上げ、ゲーリングの名声は更に高まっていきました。それを見たヒトラーは、ゲーリングを自分の後継者に指名しました。そして1940年、ゲーリングは国家元帥の地位に就くのでした。

しかしイギリス空爆に失敗したあたりからヒトラーとの間に作戦や方法などで隙間が生じるようになります。その結果ヒトラーの側近にはゲッペルスなどが幅を利かせるようになり、ゲーリングは次第に遠ざけられていきました。
更に戦争最終盤ではヒトラーへの反逆が疑われ、45年4月にはすべての官職を奪われてしまいます。
ベルリンが陥落するとオーストリアに逃亡しましたがアメリカ軍に捕えられ、ニュルンベルク裁判に被告として出廷することになります。裁判ではナチスとヒトラーを弁護し、検察と徹底して対決して注目を浴びました。

戦争は、国民の幸福と自由のため

46年8月の被告人最終陳述で読み上げた声明は
「検察側は私が国のナンバー2であることだけを根拠に、私が全ての事柄を知っていたに違いないとしています。私はいかなる時も人殺しを命じたことはないし、残虐行為を指示したこともありませんでした。私は戦争を望んでもいませんでしたし、それを始めもしませんでした。外交交渉によって戦争を阻止するために全力を尽くしました。しかしいったん戦争の口火が切られた後には、勝利のために全力を尽くしました。
私は私が行ったことで被告席に立っていますが、戦争手段によって他国民を服従させようとか彼らを奴隷にしようとか願って行動したのではないと断言します。私を導いてきた唯一の同期は、我がドイツ国民の幸福と自由を願う気持ちでした」。

国民を戦争に巻き込むことは、常に簡単なことだ

陳述の1か月後の9月、ゲーリングに死刑の判決が下されました。戦争遂行の中心的な人物たちは、洋の東西を問わず、自分たちが起こした戦争に責任を取ろうとしません。
ゲーリングは裁判の取り調べの中で、こんなことを話しています。

「もちろん一般の国民は戦争を望んでいない。しかし結局のところ政策を決定するのは国の指導者たちであり、国民をそれに巻き込むことは常に簡単なことだ。国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。とても単純(な理論)だ。自分たちが外国から攻撃されかけていると説明するだけでいい。そして平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険にさらす人々だと、公然と非難すればいいだけのことだ。この方法はどこの国でも同じように通用するものだ」。

中国が武力で台湾攻撃するかも、尖閣も狙っているかもという「深刻な懸念」、北朝鮮が今にも日本に向けてミサイルを発射するかもという「差し迫った重大な脅威」と「国家安全保障戦略」(2022年12月)で規定し、毎日のニュースで不安を煽り、現在ウクライナで起こっていることは明日の東アジアで起きないとは言えないと首相自らがあちこちで発言していることは、ゲーリングの言う「外国から攻撃されかけている」という言葉そっくりです。
勝手に閣議決定で決めて、それを国民に押し付けるやり方も「政策を決定するのは国の指導者」というゲーリングの指摘通りです。
この後は「防衛費」GDP2%引き上げや、そのための増税に反対する人々や敵基地攻撃能力保有に反対する人、各地で基地建設やミサイル受け入れに反対する住民に対して「愛国心が足りない」というキャンペーンが大々的に行われることになりはしないでしょうか。

そういう戦争への不安を感じずにはいられないこの頃。
今をどう生きるのか、自分の姿勢が問われていると感じています。