「突撃一番」
今月20日(日)、おあしす多目的ホールで「2023平和のための吉川・戦争展」が開催されました。
今年は8月と9月、2回にわたって開催することになっていて、今回はその第1回でした。
私は実行委員会の一人としてそれなりにしっかりと準備に関わってきましたが、当日は自治会の役員会と重なってしまい(今年は自治会の広報役職長です💦)、最後の方のほんの少ししか参加できませんでした。
実行委員の一人が録画を撮ってくださっていて、その録画を観ながらいろいろなことを思いました。
今回の戦争展では勇順子さんと小林敬子さんのお二人が、それぞれ中国・満州からの引き上げ体験を語ってくださいました。
色々なことが心に残るのですが、その中でも「慰安婦」の問題についてはいろいろなことを考えさせられました。凄く心に残ったお話は「突撃一番」でした。
最初に言ってしまうと、「突撃一番」は戦時中に日本軍が兵士たちに配ったコンドームです。戦時中の日本軍では性病、特に梅毒が蔓延し、それを予防するために兵士たちにはコンドームが配られたと理解しています。
そしてこともあろうに、そのコンドームの商品名が「突撃一番」という何とも品のない名前だったのです。
中国からの引き上げをお話してくださった勇さんは徐州で敗戦を迎え、その後日本軍の基地に収容されました。
収容所では他の子どもたちと一緒に軍の倉庫を点検して回りましたが、何も残されてはいませんでした。敷地の中にいくつかあった倉庫は全部空っぽでしたが、一つの倉庫には「突撃一番」と書かれた小さな袋がすごくたくさん残されていたそうです。開けてみると中にはゴム風船が入っていて、子どもたちは「ゴム風船だ!」と喜んで、その風船を膨らませて廊下に並べたり、ゴム縄にして遊んだり・・・。
勇さんにとってはすっごく楽しい記憶だったそうです。
大人になって会社で働くようになった時、復員兵だった男性が軍隊のことを色々と話してくれて、その中に「突撃一番」の話があって初めてそれがコンドームだったことに気が付いたというお話でした。
ほのぼのとしていて思わず笑みがこぼれるような逸話ですが、重大なことを語っているエピソードだと思いました。
「慰安婦」なんて嘘だという歴史修正主義の人々がいます。
「慰安婦」だったことを名乗り出た女性たちのことを「金目当て」だと平気で言ってのける人々がいます。
天皇の軍隊がそんなことをするはずはないと、その時代を生きてもいなかった人々が「慰安婦」の事実を否定しているのです。
でも、当時まだ小学校1年生だった勇さんの記憶がはっきりと証明しているのではないでしょうか。
日本軍は大量のコンドームを所持していて、それを兵士たちに配っていたという証言がいかに事実であったか。
慰安所は軍の直営のものもあれば民間事業者に運営させていたもの、遊郭を一時的に慰安所として指定していたものの3通りがあったと言われていますが、それをコントロールしていたのは間違いなく日本軍だったという事実も垣間見えてきます。
勇さんのお話、実はとても重大な証言だと思いました。