『サリバン先生の青春とヘレン・ケラー』
少し前にFacebookで、あの有名なサリバン先生に関する文章を読みました。
サリバン先生にもヘレン・ケラーにも今まで特別な関心を寄せたことがなかったのですが、その文章を読むとサリバン先生は若いころとても辛い体験をされた方のようで、それがどんないきさつでヘレン・ケラーと出会い、歴史に名を遺す人物になったのか・・・。
どうしても知りたくなって、本を探してみました。
とりあえず見つけられたのが『サリバン先生の青春とヘレン・ケラー』(明治図書 野際蕗生訳編)でした。
中学生向きのジュニア図書でしたが、とにかく読んでみようと思い、読みました。
とっても面白い本でした。
サリバン先生はやはり、若いころにとても苦労をした方でした。
アイルランドからの移民の貧しい家に生まれ、定職につかず、いつも酒を飲んでだらしなく酔っ払い、あちこちでケンカばかり繰り返すようなお父さん。
お母さんが頑張って家を支えていましたが、サリバン先生が8歳のとき亡くなってしまいました。
弟と二人残され、救貧院に入れられますが、弟も間もなく亡くなり、サリバン先生は一人ぼっちになってしまいました。
5歳の時に患ったトラコーマが下で、視力の低下もありました。
粗野で乱暴な環境に育ったサリバン先生でしたが、先生の知的な部分に気づいた職員の計らいによって、施設の中の図書館に通うようになりました。
そして、州の福祉委員長を団長とする調査団が施設にやってきたとき、サリバン先生は福祉委員長に学校に行きたいと直訴しました。
そういうサリバン先生の姿勢が認められて、学校に行けるようにと手配してもらうことができました。
入学したとき、自分の名前すら満足に書くことができなかったサリバン先生は14歳、同級生たちはなんと9歳でした。
同級生よりも作法も勉強も全く劣っていたサリバン先生でしたが、先生は他の子どもたちよりも記憶力や理解力がずっと優れていて、ひそかに努力する中で同級生たちに追いつき、そしてやがて引き離していきました。
学校を卒業した後、サリバン先生にはすぐには仕事がありませんでした。
1歳8カ月で病気で失明・失聴し、「見えない・聞こえない・離せない」という三つの障がいを負い、周囲との関係が築けずにどう育てたものかと困っているヘレン・ケラーの家庭教師を依頼されたのは、そんな時でした。
21歳でヘレン・ケラーと出会ったサリバン先生は、生涯ヘレン・ケラーとともに生きました。
21歳という若さで、ヘレン・ケラーへの教育がよくぞそこまでできたものだと感心することしきりです。
ヘレン・ケラーの家に住み込んでいて、24時間一緒にいたからこそできたという部分もあると思います。それから、ヘレン・ケラーが知識欲が旺盛で、非常に頭が良く、多分コミュニケーション能力もとても高い人だったのだろうと感じます。
でも優れているのは、man to man で、今ヘレンに何を教えるべきかをじっくりと考え、教えた結果ヘレンがどんな風に変化しているのか、どんな教え方が良いのか、じっくりと考え評価しながら教えられたこと。
そして最も優れていることは、「経験」を積み重ね、その「経験」とヘレンの反応に応じて必要なことを教えていったという、サリバン先生の絶え間ない努力。
自然の中で、自然に触れ、その中からヘレンが「感じる」「察知する」「1歳8か月までの目が見えた頃の感覚を思い出す」ということがとても大切にされ、その中でヘレンが育って行ったということだと思いました。
「奇跡の人」と言われていますが、決して奇跡なだけではない、教育として合理性のある教育を受け、育った人なのではないかと感じました。
そして、今の教育にもつながる大事なことが沢山記されていると感じました。
ひとつは man to man 的な教育の在り方。
今、コロナ禍の中で改めて少人数学級の大切さが言われていますが、ソーシャルディスタンスという問題だけではなく、ひとり一人に寄り添った、その子その子の理解度に応じた教育の大切さというものを改めて思いました。
そして今、やはりコロナ禍の中でIT化が更に進められようとしています。
確かに学校が休校になっていた時期を思うと、ひとり一台タブレットを持ち、オンラインで繋がれるということもとても大切なことだと思っています。
でも日々の授業はオンラインではなく、ヘレン・ケラーのようにできるだけたくさんの経験を重ね、肌感覚で社会を理解し、捉えていくこと・・・。
そうした力を蓄えていけるような教育の在り方が、同時に求められていると感じました。