『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』

2024年08月26日

『国籍と遺書、兄への手紙 ルーツを巡る旅の先に』(安田菜津紀著 図書出版ヘウレーカ)を読みました。
先月横浜で開催された自治体学校の特別講演で安田さんのお話を聞き、その場で買い求めた一冊です。

パスポートを取得するために戸籍を取り寄せた安田さんは、それを見て初めて父親が在日コリアン二世だったことを知りました。
その時にはお父さんはもう亡くなっていたし、お父さんの両親も早くに亡くなっていたので名前も何をしていた人なのか、いつ何故日本に渡ってきたのかも何もわかりません。
この本は文字通り、安田さんが自身のルーツを巡る旅を描いた一冊です。

私も一昨年母が亡くなり、母の「除籍」を取り寄せたときに初めて、父方の祖父母の名前を知り、すごく嬉しくなりました。
祖父母は早くに亡くなっていて、母も父の両親や兄弟のことをほとんど知りませんでした。
その祖父母に名前があった!!!
急に会ったこともない祖父母の存在が、私の心にリアルに浮かび上がりました。
祖父の名前は「久作」、祖母の名前は「とめ」。「久」という父の名前は、祖父から一字いただいたものだったのだと知りました。
そしてどんな人だったのだろう?
どこで、どんな暮らしていたのだろう? 
どんな人生を生きた人だったのだろう?
どこで死んだのだろう?
お墓はどこにあるのだろう?
なぜ父は母にさえ、自分のルーツを何も話さなかったのだろう?

色々なことを知りたくなりました。
そして、これまでに3回くらいは会ったことのある従姉の住所をを必死で調べ、手紙を出しました。
お墓はその従姉の家の近くにあることがわかり、何か知っていることがあるのかどうか、お話を聞きに行かせてほしいとお願いをしました。
その時はコロナ禍を理由に断られてしまったのですが。

そんな経験をしているので、自分のルーツをちゃんと知りたいと思う安田さんの気持ちはとてもよく分かる気がします。
ましてや在日コリアンというと日本の負の歴史と、多分朝鮮半島の歴史にも翻弄されてきた方々です。日本の中には今も在日コリアンに対する不平等がまかり通り、不当な攻撃にもさらされています。だからこそなお、安田さんは「ちゃんと知りたい」と思ったのではないかと思います。

この本を読むまで、私は「朝鮮籍」というのは北朝鮮にルーツのある方々を指すのだと思っていました。
でも、違うことが分かりました。
日本の植民地時代、朝鮮半島出身者は「皇国臣民」の日本国籍として扱われていました。1952年サンフランシスコ講和条約の発効により、今度は日本国籍を奪われ、多くの人が「朝鮮人」という、特定の国籍を持たない存在として扱われることになりました。1965年、日本が韓国と国交を結ぶと、韓国籍を取得する人が増えていきました。しかし韓国籍を取得せずに、「朝鮮人」「朝鮮籍」として生きることを選択した人たちもいて、「朝鮮籍」が北朝鮮出身者というわけではないことが初めて分かりました。

ルーツを探す旅の中で出会った朝鮮籍のおばあちゃんは、韓国籍を取得するということは南北の分断を認めることだと考えていました。
「戦争という手段を使って、一部の人間だけで幸せになろうとする奴らを認めるのか!!」。
そこまで深い、問題だったのでした。

知らなかった自分が恥ずかしい(;^_^A

ヘイト集団の発する言葉の中に、特定の民族を虫や動物に例える表現が頻繁に使われます。
例えば「ゴキブリ朝鮮人」。
ルワンダ虐殺の時にも「ゴキブリ」という言葉が使われ、ナチス時代ユダヤ人は「シラミ」と言われました。
人間を一般的に嫌われる生き物に例えることによって、「殺しても良い存在」だと社会を扇動している。

・・・・
昨日観た舞台『戻り道を探して』、カフカの小説『変身』にもつながる話だと思います。

朝鮮人学校に通う子どもたちは学校の外でチマチョゴリを着ていると、着られたり嫌がらせをされたりすることがある。だからチマチョゴリは学校に着いてから着替えている。
安倍元首相が銃撃された時、ネット上では「犯人は朝鮮人」と決めつける投稿が溢れ、在日コリアンのみなさんはなるべく外に出ないように、ひっそりと息をひそめて過ごしていた!!!

なんだか、とてもショックな内容があちこちにちりばめられていて、胸の痛む一冊でした。
20年ほど前に一度、在日三世の辛淑玉さんのお話を聞きに行ったことがあります。その時に辛淑玉さんが話していた在日コリアンのみなさんの置かれている状況・生き辛さが未だに全然変わっていないことを知りました。

悲しいです。