『戻り道を探して ミレナとカフカとマルガレーテ』
東京芸術座公演No107、『戻り道を探して ミレナとカフカとマルガレーテ』(作:くるみざわしん 演出:北原章彦)を観ました。
カフカの恋人だったミレナが説明しようのない不安に駆られ、おちおち死んでいるような場合じゃないと、永遠の眠りから目覚めます。
そしてカフカやナチスの女性収容所で共に囚人として生きたマルガレーテ、軍医や収容所の看守だった女性、日本の入管で死んだ女性など様々な人を叩き起こすところから物語は始まります。
カフカの小説『変身』をあちこちにちりばめながら、物語は進んでいきます。
カフカの小説『変身』は朝起きたら身体が害虫になってしまっていたというお話で、私は高校生時代に一度、それから大人になってからもう一度読んだ記憶があります。その感想は、高校生の時は「変な小説」。読み直した時も「なんでこんな小説描いたのかな」「息苦しいなぁ」と思った程度でした。
カフカがユダヤ人だったことは知っていたのに。
カフカが亡くなったのは1924年で、『変身』を描いたのは1912年だそうです(Wikipedia)。ナチス政権の前です。
それでも、害虫・虫けらのように扱われているユダヤ人を描いていたのだと気付かされました。
多分ユダヤ人だけでなく、迫害・弾圧され、人間扱いされない人々を描いたのかもしれません。
そんな小説だとは思ってもみなかった(@ ̄□ ̄@;)!!
自分の愚かさが恥ずかしいΣ( ̄□ ̄|||)
カフカが亡くなって100年。
イスラエルではパレスチナ人を害虫のように扱い、弾圧しています。
日本では入管で外国人の人権を奪い、名古屋入管ではウィシュマさんが医療にもかかれないまま亡くなりました。
そしてヘイト。
今も武力や数の力で誰かの人権を不当に侵害し、立場の弱い人を害虫のように、虫けらのように扱い、会ったこともない誰かを苦しめながら、そんなことにすら気付かずに平気で生きている現実があります。
ナチスの強制収容所の看守だった女性は、もともとはただ子どもを育てるために働き口を探しただけでした。
なのに暴力で囚人たちを支配するようになるまでに大して時間はかかりませんでした。
私たちも、いつそういう看守になるかわかりません。
自分の行動、言葉、態度。
自分が何を言っているのか、何をしているのか、立場の弱い人々の人権が甚だしく侵害されている事態に対して一体どういう態度を示しているのか。
そこに気付いて、戻り道を探さなくては。
探そうよ、戻り道を。
それはただ一人ひとりの個人だけの問題でもなく、格差や貧困や戦争やなんだかよからぬ方向に進みかけている社会全体に対する大きな呼びかけのように私の胸に響きました。
素晴らしい舞台でした。
劇作家くるみざわしんという方はどこまでも視野が広く、深く、鋭く。
作品を観るたびに驚かされます。