『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』
議会中ですが、今日は一日自宅にこもり、本を一冊読み終えました。
『文玉珠 ビルマ戦線楯師団の「慰安婦」だった私』(語り:文玉珠 構成・解説:、森川万智子 梨の木社)。
文字通りビルマ戦線の「慰安婦」にさせられた朝鮮人女性、文玉珠さんの語りと、その語りを森川さんが丁寧に解説している一冊です。文玉珠さんは韓国で金学順さんに次いで3番目に名乗り出た元「慰安婦」で、来日しその体験を証言されたこともあるそうです。
文さんが「慰安婦」になったのは、ある日官憲に呼び止められて、そのまま満州に送られ、「慰安婦」にされてしまったのでした。
一旦は実家に帰った文さんがビルマ戦線の「慰安婦」にさせられたのも、日本軍の食堂での仕事に応募したのに「慰安婦」にされてしまったのでした。
頭が良くて優しくて働き者の文さんは、悔しさや悲しさはさて置いて、旧日本兵を文字通り「慰安」するために日本の歌もたくさん覚えて精いっぱい働きました。そして多くの旧日本兵に喜ばれ、重宝され、宴会にもたびたび呼ばれ、チップをもらってお金をたくさん稼ぎました。
そのお金を軍事預金に預けました。
名乗り出た後、文さんはこの預金の引き出しを求めました。
文さんの預金の原簿は熊本貯金事務センターに保管されていて、元金が25,245円、1965年4月現在の元利合計は50,108円とのことです。
日本はこの預金の引き出しを拒みました。
日本と韓国は1965年に「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する大韓民国との協定」を結んでいて、更に「財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定第二条の実施に伴う大韓民国等の財産に関する法律」を定め、この協定と法律によって文さんの請求権は消滅している、だから払わないという姿勢です。
この協定は韓国とのみ結んでいて、韓国以外の人が貯金や未払いの賃金などを請求した際には日本には支払う義務があるということです。
どこまで韓国の人々をバカにした姿勢なのかと思うと、悲しくなります。
ビルマ戦線を生き抜いた文さんは、戦争が終わってからも2~3年は爆弾が落ちる夢を見ることが多々あって、「空襲だ!」と叫んで家の外に飛び出すことがよくあったそうです。
森川さんが初めて聞き取りをした91年になってもなお、不眠を訴え、夜通し泣き明かすことがあったそうです。
焼肉の臭いをかぐと、亡くなった友人にガソリンをかけて焼いた記憶が蘇り、食べれないそうです。
元「慰安婦」だった方々に多くみられる後遺症は頭痛と不眠、そして不妊症だそうです。
本来ならPTSDの治療が必要だったのだと思います。
元「慰安婦」たちの名誉を回復し、名乗り出たこととその後の運動の根拠となったのは、
「慰安婦だったことは、あなたの恥でも、家の恥でも、村の恥でもありません。あれは日本国の戦争犯罪だったのです」という考え方。
女の貞操を重んじる儒教の国韓国で、元「慰安婦」たちは解放後もずっと、「騙された私が悪かった」「あれは運命だった」と自分を責めたり、諦めたりしていました。「加害者は犯罪者で、その犯罪者と闘うということは全く新しい発想でした。逆に「金目当て」という考え方が、彼女たちをいちばん傷つけていることは言うまでもありません」。
文さんは森川さんとの対談の中で、「両班の政治家たちが、長いキセルでたばこをぷかぷかとして悠長な政治をしていたから、私たちの国は日本の植民地にされてしまった。私たちの犠牲もそのせいだと理解していますよ。国がやり方を間違うと、こんなことになってしまう」と話しています。
今の日本の政治にも繋がる、重要な指摘と感じてしまいました。
この本を読んで、日本がなぜビルマで戦争をしたのかということが良く理解できました。
インパールでの戦いも凄惨な戦争であったことは知っていましたが、そこがどこなのか、何故そんな無謀な戦争をしたのかということは全然知りませんでした。
ビルマ戦線の目的は、ビルマを南北に通過して、中国の昆明・重慶に向かって伸びるアメリカの軍需物資運送ルートを断つことで、泥沼化していた中国戦線をなんとか有利にするために、物資補給を断つ必要があったということ。
旧大日本帝国が考えていた「大東亜共栄圏」の西南端はビルマで、ビルマを制圧した時点で日本軍の目的は既に達成されていたはず。
それがインドのインパールにまで攻め込んだのは、緒戦が「無血上陸」「連戦連勝」などと言われる勝ち戦だったこと、もともと日本軍はインド侵攻も計画していたとも書かれています。ビルマ戦線でイギリス・インドの連合軍が全く戦おうともせずに、武器・車両・食料などあらゆるものを残してインパールに逃げてしまったとも書かれていて、もしかしたら深追いをしたのかなぁとも思いました。