『蝉丸と逆髪』
もうかなり前の話になりますが、親しくしていた友人が能を観るのがとても好きだったので、私も何度も一緒に観に行きました。
友人は能面が光によってさまざまに表情を変えるのが何とも素晴らしいと常々言っていましたが、正直私にはその魅力は全くわかりませんでした。何度見てもあまりよく分からず、そのうちにいつの間にか行かなくなってしまいました。
今回のくるみざわしんさんの作品『蝉丸と逆髪』は、表参道の銕仙会能楽研究所で上演されました。
3月にこの作品の朗読劇を観て、またまたすごい作品だなぁと思っていたのでとても楽しみにして観に行ってきました。
蝉丸は百人一首では「これやこの 行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関」という句でよく知られる、歌人です。私の田舎では、ぼうずめくりで「蝉丸が出たら負け」というルールだった気がします。
蝉丸は醍醐天皇の息子で目が見えません。目が見えないが故に、天皇の息子でありながら逢坂山に捨てられてしまいます。
それは平安時代の話なので、もう1000年以上も前のお話です。しかし天皇家の子どもであろうとも障害者や治らない病の人は捨てられてしまうという歴史は今の皇室典範に生きていて、皇室典範第3条には「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」と書かれています。
皇室を守るのためには障害者を平気で排除してしまう、それが天皇制の本質だということをこの作品は描いています。また、政権の転覆を狙う者は謀反を起こすときに、捨てられた地位あるものを利用しようとするし、利用されていると分かっていても元の地位に戻りたいという自らの欲望に抗うのはとても難しい・・・。
逆髪は蝉丸のお姉さんで、物狂いとなって蝉丸より数年前にやはり逢坂山に捨てられた人です。
物狂いだからこそかどうかはわかりませんが、物事の本質がとてもよく見えている人で、独特の視点でこの世の中をとても深く鋭く見据えます。
蝉丸と、蝉丸を捨てるために逢坂山に行く家来、そして逆髪との掛け合いが時に惨酷で時に鋭く、そして時に笑える、片時も目を離すことのできない舞台でした。
能楽堂という独特の雰囲気や雅楽器の音響効果も素晴らしく、感動のひと時でした。
この作品は能の世界では古くから演じられてきた『蝉丸』という作品を、くるみざわさんが改作したものとのことです。原作は世阿弥とのことですが、天皇家への配慮もありあまり演じられなかった時期もあったとのお話でした。
アフタートークでの演出の笠井賢一さんのお話では、長年銕仙会のプロデューサーをしてきた笠井さんがくるみざわさんの脚本を読んで、従来の能では描き出せなかったことまで描き出していてとても深くて広いと感じ、なんとしても能楽堂の舞台にあげたいと思ったとのお話でした。
脚本を読んだときの笠井さんの感動や演出家としての熱い思いが伝わってきて、胸震えるアフタートークでした。特にこの舞台は単に天皇制の批判に留まらない、権力闘争の中で犠牲になってきたたくさんの人々がその向こうにいて、それは現在のガザやウクライナにも繋がる話だと、うまく表現できませんがそんなお話がとても強く心に響きました。
それから1000年以上昔にこういう作品を描いていた、世阿弥にも心から感動です。
「能は私には理解不能」と決めつけないで、これからは時々観に行こうと思います。