『香港国家安全維持法」って何?~その1~
毎週月曜・金曜に開催している日本共産党吉川市議員団の会議は、毎回しんぶん赤旗の読み合わせから始まります。
みんなで一つの記事を読み、感想や疑問を語り合うことに、何となく意義を感じています。
6月30日に『香港国家安全維持法』というのが強行・即日施行されたニュースは、連日テレビでも新聞でも大きく取り上げられています。
私たちも7月3日にこの記事の読み合わせをしました。
だけど、何故・どうして中国でこんなことが起きているのか、中国は何がしたいのか、どうしても理解することができません。
私たちは近現代史研究家・柴山敏雄さんに会議にご参加いただき、学習会を開催しました。
少し理解できたので、ご報告します。
【香港の割譲】
アヘン戦争が起きたのは1840~42年でした。
当時イギリスは中国市場の開拓を目指していました。中国(清)から茶・陶器・絹を大量に輸入し、大変な貿易赤字を抱えていました。1790年代の終わりごろから、植民地だったインドで栽培したアヘンを中国に輸出することで、超過分の総裁を図りました。
清ではアヘン吸引の悪弊が広がり、たくさんの中毒者が発生し、また貿易収支が逆転しました。清はアヘンの輸入を取り締まり、アヘンの持ち込みを禁じようとしましたが、イギリスは武力で攻撃しました。これがアヘン戦争でした。
アヘン戦争に勝利したイギリスは、香港島を永久割譲しました。その後イギリスは1860年に九龍半島を割譲、更に1898年には新界を99年間中国から借り受けました。そして1941~45年は日本がこの地を占領しました。
↑(上の地図は「旅のともTen Tech」さんより
【香港の変換と一国二制度】
1984年、当時のイギリスのサッチャー首相は中国を訪問し、鄧小平主席と香港返還について交渉しました。イギリスは借り受けていた新界だけを返還するつもりでいましたが、すべて変換するようにとの中国の姿勢は強硬で、サッチャー首相は妥協するしかありませんでした。
既に世界の中で、植民地支配という時代が終わっていたことも影響していたと思われます。
1984年、英中共同声明が発表されました。1997年に香港の主権を中国に返還し、中国の特別行政区とすること、中国は「一国二制度」をもとに、将来50年(2047年)に亘って香港で資本主義を維持することを約束しました。
「一国二制度」とは、領土は返還すること、中国は香港の高度な自治を認めることを約束したものでした。
【香港国家安全維持法とは】
香港国家安全維持法は、①国家分裂、②政権転覆、③テロ活動、④外国製利欲と結託して国の安全に危害を加える行為、に対し、最高刑で終身刑を科します。
実際の行為だけでなく、政権批判やデモ行進なども対象となり、教育現場では「香港に栄光あれ」という、香港の非公式な国歌と位置付けられる歌までが弾圧されます。香港の高度な自治を保障する、「一国二制度」の形骸化に他なりません。
【香港国家安全維持法成立までの経過】
1990年成立した「香港基本法」(香港の憲法のようなもの)には、「一国二制度」の趣旨が反映されました。
1997年、約束通り香港の主権は中国に返還されました。
返還後間もない2003年、中国政府と繋がる香港政府によって「国家安全条例」を制定する動きがみられました。しかし、香港住民の大規模な反対デモにより、条例案は撤回されました。
2014年、香港行政長官選挙の民主化を求める「雨傘運動」が起き、延べ100万人が参加しました。
この選挙は選挙委員会による選挙に当選した数名しか立候補することができず、しかも選挙権を持つのは香港住民の一部(親中派)に限られており、香港の人々にとっては非常に不満の強い選挙となっています。
2019年、「逃亡犯条例」の改正が提案されました。
容疑者の身柄引き渡し手続きを簡略化し、中国大陸・マカオ・台湾にも刑事事件の容疑者を引き渡しできるようにするという改正案でした。しかし中国政府に不満を持つ住民が多い香港では、政治犯を本土に連れていかれる危険性が高いとみられる改正案でした。香港では大規模なデモが起こり、改正案は撤回されました。しかし更に200万人規模でのデモを起こし、香港住民は反対運動を続けました。
こうした中で同年11月に行われた香港区議会議員選挙では、民主勢力が圧勝しました。このままいくと、立法議員選挙も民主勢力が圧勝してしまう、徹底的に押さえつけなければと危機感を募らせた中国政府が行ったのが今回の「香港国家安全維持法」の強行です。
中国政府は今年5月28日、全人代で「香港国家安全維持法」の制定方針を採択しました。
6月30日には、香港立法会(議会)の手続きを経ずに施行してしまいました。中国政府は、9月に予定されている立法院選挙の前に、なんとしてもこの法律を施行したかったのだと思われます。
【なぜ「一国二制度」を破壊するのか?】
中国は香港返還時、向こう50年に亘り「一国二制度」を維持すると内外にアピールしました。にも拘わらず、今なぜそれを自ら破壊するのでしょう。
1979年、中国は鄧小平主席の指導の下、それまでの毛沢東思想を切り離し、市場経済体制への移行を開始しました(改革開放)。それ以降中国経済は爆発的な成長を遂げ、世界第二位の経済大国になりました。
かつて香港は、中国と世界を結ぶ金融・ビジネスセンターの役割を果たしていました。
返還当時中国のGDPの18.4%を占めていた香港のGDPは、2018年にはわずか2.7%へと下がりました。香港経済は最早、中国にとって大きな位置を占めなくなっています。
こうした経済状況が背景にあり、一方で香港には反政府的な立場をとる住民が多いという現実。右傾化した一党独裁の国家の中に、資本主義が併合され、その住民が民主主義を高らかに訴える・・・。
本当に大きな矛盾の中に中国が在ることが、とてもよくわかります。
「香港国家安全維持法って何?~その2~」に続きます💖