コロナ禍の旅立ち
今日は義理の叔母が、一人静かに旅立ちました。
約10年に亘り、「なんちゃって」が付いちゃうけど介護してきた叔母。
約10年前に、当時は1人暮らしをしていた叔母のご近所の方から「様子がおかしい」と電話をいただき、パートナーが様子を見に行って、そのまま我が家に連れてきたことから「なんちゃって介護」が始まりました。
被害妄想が非常に強く、ひどい緊張状態が続き、とても辛そうな様子でした。
幸いなことに私も精神科看護の経験がそれなりにあり、パートナーも医療従事者なのでうまく連携することができ、その時は比較的短期間で安定し、一度は自宅でひとり暮らしを再開するまでになったのですが。
確か1~2年くらい経ったころの冬、またまたご近所の方から「しばらく姿を見ていない、何かあったのではないか」と連絡をいただき、パートナーが様子を見に行きました。
数日前に転倒し、身動きすることができずにひとり衰弱している姿を発見。
病院に搬送、半年程度の入院⇒老人保健施設を経て、近隣のサービス付き高齢者住宅に入所。
そこで数年を過ごしましたが、転倒して骨折。
病院に搬送⇒老人保健施設を経て、今度は近隣の特養へ入所。
そこでも年単位でお世話になりました。
今年の春頃熱を出したことをきっかけに、自力では身動きすることができなくなりました。
その時もかなり命が危ないと思っていたのですが、施設のみなさんの温かい援助をいただき、持ち直すことができました。
今回また食事摂取も水分摂取も困難になり、パートナーと2人で施設に赴き、自然な形での看取りをお願いしたのはつい二日前のことでした。
コロナ禍ということで、許された面会時間はわずか15分。
それでも叔母はまだ意識があり、パートナーのことも私のこともちゃんとわかり、かなり衰弱してはいましたが、パートナーの母(義母)や親族とビデオ電話で「話せた」とまでは言えませんが、通話ができました。
それからわずか二日で、叔母はあっという間に亡くなってしまいました💦
パートナーの祖母は、私はパートナーと結婚して2年間程度のお付き合いしかありませんでしたが、明治生まれにしてはとてもサバサバとした考え方の持ち主でした。
人間、死んだら灰になるだけだといって、仏壇にお線香をあげることも無意味だと思っているような人でした。
末っ子の叔母に対して、「バカな男のメシの仕度して生きるくらいなら、いっそ、結婚なんかしなくてもいい」というような考えの人だったと聞いています。
その影響か叔母は生涯独身で、定年するまで仕事に生きた人でした。
都心にマンションを持ち一人暮らしする叔母は、ある意味多くの女性が憧れるような人生を送ったのではないかと思っています。
寄る年波には勝てず、介護が必要になった時、叔母は甥っ子である私のパートナーが暮らす吉川に来るしかなくなりました。
そしてコロナ禍が重なり、特養に入所してからは自由に面会することもできず、知らない土地で知らない人たちに囲まれ、誰に何を語るでもなく、あっという間にこの世から姿を消してしまったのでした。
私たちも、最期を見守ることも、見送ることもできずに終わってしまいました。
地域包括ケアシステムが目指す「住み慣れた地域で、自分らしい人生を全うできる社会」というのとはあまりにも程遠い、とても淋しい最期でした。
何か、すっきりとしない気持ちが消えません。