古いのは民法
1月28日 、参議院予算委員会で日本共産党書記局長の小池晃氏は、生活保護を必要とする人が申請をためらう原因になっている扶養照会について、「扶養照会は義務ではない」という閣僚答弁を初めて引き出しました。
このニュースは、大変大きな注目を集めています。
扶養照会とは、自治体の福祉事務所が生活保護申請者の親や配偶者だけでなく、兄弟、孫などの親族に対し、生活の援助が可能かどうか問い合わせるものです。
これが申請を阻む大きな壁になっています。
そもそも日本の扶養照会は、諸外国と比べてもその範囲が異常に広いのが特徴です。
2016年7月に保護を開始した1.7万世帯に関し、紹介件数は3.8万件。しかもそのうち、金銭的援助が可能と回答したのはわずか約600件。
こんな照会に、果たして意義があるのでしょうか。
先日、扶養照会が怖くて生活保護申請ができなかった方と出会いました。
コロナ禍で新たな仕事を見つけることができず、貯金を切り崩して何とか生活を維持してきたものの、残りの所持金はわずか数千円。
食事は一日一食。
痩せこけた身体は、もし出会うのがもう少し遅かったら、命に関わっていたかもしれないと思わせるほどでした。
年老いた両親に心配をかけたくない、迷惑をかけたくない。
その気持ちは十分に理解できるものでした。
一緒に生活保護の申請に行きました。
職員の方は非常に優秀で、今国会で扶養照会が問題になっていることも、厚労大臣の「扶養照会は義務ではない」との答弁も十分に理解されていました。
その上で国からの通知も来ていない以上、照会せざるを得ないとのことでした。
生活保護法には照会の義務はないけれど、民法877条で扶養義務が規定されているとのことでした。
明治時代の家父長制度のもとにつくられた民法に、扶養義務が規定されているというのです。
なるほど!
古い民法で規定された概念が、今の厳しい状況下でも生活保護申請を断念させる根拠になっていることを、私も初めて学びました。
民法が今の時代にそぐわないことは様々な場面で指摘されています。
この古い民法を変えないと、日本国憲法に保障された「健康で文化的な最低限度の生活」は享受できないのだと思いました。
しかし市の生活保護担当は本当に優秀です。
近い将来必ず、国から何らかの通知が出されるに違いない。扶養照会はそれまで見合わせるとの判断をしてくださいました。
市のこうした判断に、相談者の方も安心して生活保護の申請をすることができました。
相談者の方は、とてもまじめに生きている方だと感じています。
生活保護受給に甘えて生きていこうと思っているわけではありません。
生活保護を受給することで、これまで張り詰めてきた羽をいったん休め、心身の状態を改善し、もう一度社会の中で生きていくために「生活保護」という手段を選んだだけだと思います。
それを保障する生活保護担当の姿勢に、心から敬意を表します。
そして国に求めたいことは、一日も早く不必要な扶養照会を止めるように自治体に対し通知を出すこと。
更に、古い民法を改定して、今の社会に見合った内容にすることです。
生活保護申請のハードルを下げて、必要な人が保護を受けられる社会にしなくてはいけないと思います。
コロナ禍の中で、自殺者が増加していることが報道されています。
困窮する人々をきちんと受け止め、支援する体制を強化しなければ、救える命が救えなくなるリスクが更に高まってしまうのではないでしょうか。