吉川市平和の集い

2024年08月03日

今日はおあしす多目的ホールで「吉川市平和の集い」が開催されました。

戦没者追悼式に続き、女性合唱団プリムローズの歌声、吉川市演劇プロジェクト有志のみなさんによる『原子雲の下より』の朗読が行われました。
『原子雲の下より』はまさに被爆の体験を生々しく描く詩集で、プロジェクトの有志には3人の小学生も参加していました。
終わってから小学生のみなさんと少しお話するチャンスがありました。被爆という、あまりにも非日常の体験を理解し、朗読するのはとても難しかったのではないかと思い、聞いてみました。
事前にどういう方からかはわかりませんが、レクチャーを受けたそうで、イメージをつかんだ上での朗読だったそうです。

そして集い、最後のメニューは「学童疎開船対馬丸の悲惨~戦争と平和について」、寿大聡さんと葦澤恒さんの講演でした。
お二人は、私たちが企画している今年の「平和のための吉川・戦争展」でもお話をしていただく予定になっています。

寿大聡さんは俳優さんで、仲代達也さんが主催する無名塾のご出身。
吉川市内のご出身で、おじいさんは17歳の時に対馬丸の乗組員として乗船し、撃沈されたものの奇跡的に生き延びることができたという方です。ご生前は市内だけでなく、全国でもテレビでも対馬丸事件について語り続けた方だそうです。
あ‼ 対馬丸事件を知らない人もいますよね?
対馬丸事件とは、1944年、敗戦色が濃くなってきて本土決戦(沖縄戦)も十分予測される中で、沖縄の学童1,514名を含め約1,700人が乗船していた学童疎開船対馬丸がアメリカの潜水艦の爆撃を受けて撃沈。
1,484名が死亡、学童の死亡率はなんと93%(@ ̄□ ̄@;)!!
驚くべき被害を受けたのに、恐らく「戦意を削ぐ」という理由で事実はひた隠しにされました。兄弟二人で乗船し、ひとりだけ生き残ったケースでも、もう一人の兄弟が沈没により亡くなったという事実は親にさえ話すことができなかったといわれています。

実はこのお二人は今年、おじいさんの話を基に対馬丸事件を描いた映画『満点の星』を作成しました。

「師匠の仲代達也が常に『表現者として、戦争に関わる作品を作るのは義務だ』と常々言っていた」というお話がありました。
中学生の時におじいさんの体験を知り、それを形にしたいとずっと思っていたこと。
監督の葦澤さんとは無名塾で出会い、出会った時から中野さんは対馬丸の話をしていたということ。
映画をつくるためにウクライナにも行き、戦時下の子どもの現実を目の当たりにしたこと。
対馬丸について
❶アメリカの潜水艦は、対馬丸に学童がたくさん乗っていた事実を知っていたのか?
❷対馬丸には護衛船が2艘ついていたのに、爆撃を受けると助けることなくスッと逃げてしまった。それは何故なのか?
❸これだけ多くの被害を出しながら、対馬丸事件があまり知られていないのは何故か?
寿大さんはこの3つの疑問をずっと抱いていて、それを解き明かしていくような映画であること。
戦争を知らない世代が大半を占める社会になってきて、自分たちには戦争の悲惨さを次の世代に伝える責任がある。子どもたちにしっかりと伝えるためには、教育しかない。
などなどが語られました。

今月18日開催の吉川・戦争展では、更に充実した内容のお話をしていただけるものと、とても楽しみにしています。