映画『福田村事件』原作者 辻野弥生さん講演会
三郷吉川ぶんかむらでは、12月9日(土)午後、三郷文化会館で映画『福田村事件』原作者、辻野弥生さんの講演会を開催しました。。年末の大掃除日和にもかかわらず、110名もの方がご来場くださいました。
『福田村事件』執筆へと辻野さんの背中を押したエピソード
辻野さんが最初に福田村事件について書いたのは1999年で、もう四半世紀も前だということを初めて知りました。また今売られている本の前に、2013年に『福田村事件ー関東大震災知られざる悲劇』という本を出版されているそうです。
その出版社が事業を閉じることになり、本が絶版になってしまうことをもったいないと思ったフリーの編集者、片岡力さんが辻野さんに働きかけてリメイク版を発刊・・・。
それが今売られている本だということを知りました。
最初に『福田村事件』を書いたとき、辻野さんの背中を押したのは在日3世のミュージシャンでした。
その方は「朝鮮人は臭い、汚い」とご自身が受けてきた、朝鮮人への差別・侮蔑の言葉をそのまま歌にしていて、ピュアで素晴らしい歌を歌っていたそうです。
流山ではその方のコンサートを3回も開催したそうです。
あるとき、コンサート終了後に「そんなに日本が嫌なら、朝鮮に帰ればいい!」とその方に声をかけた人がいたそうです。辻野さんはそれを「歴史を知らない人の言葉」だと思ったそうです。
「あったことをなかったことにしてはいけない」
辻野さんが『福田村事件』を書くまで、事件について活字になったものは一文字もありませんでした。
土地の人の証言もを聞こうと思っても、「あんた、何を言い出すんだ!」というような勢いで断られ、話を聞くことはできませんでした。
そういう中で「あったことをなかったことにしてはいけない」と、歴史的な事実をきちんと書き残すことの重要性を感じたことが『福田村事件』執筆へと辻野さんの背中を押したのだということでした。
情報がない中での執筆は非常に困難でした。
慰霊碑が建立されている円福寺の住職さんも最初は扉を閉ざしてしまったそうですが、辻野さんの誠実な姿勢を知り、協力してくださったとのお話でした。
住職さんは犠牲者のみなさんの名前を記した用紙をいつも持っていて、毎日供養をしているとのお話も伺いました。
表立って何かをするわけではなくても、そういう形で「あったことをなかったことにしてはいけない」と行動している人がいるという事実に、心温まる気がします。
『福田村事件』の時代背景
1910年(明治43年)、日本は朝鮮を併合しました。
9年後、朝鮮半島では三・一独立運動が起こりました。
200万人余が参加した、非常に激しい抵抗運動でした。7,500人が死亡、16,000人が負傷、27,000人が起訴され、受刑者は22,000人余。
朝鮮の人々の抵抗がどれだけ激しかったか、この数からも想像ができます。
日本政府は緊張状態に陥り、「不逞鮮人」と朝鮮人を侮蔑し、その感情を民衆にも広げていきました。
そういう時代の中で、日本人は朝鮮人を怖れていた・・・。
そんな中で関東大震災が起こり、朝鮮人が何をするかわからないと内務省は通達まで出しました。
この時のある地域に残された手記では、「朝鮮人を殺したら、期せずして万歳の声が上がった」という記述も残されているそうです。
朝鮮人のいのちは、鴻毛よりも軽いとされていた時代でした。
差別しないためには「自制心」と「学習」が大事
被害に遭った行商人たちは、利根川を渡って守谷に行こうとしていました。
船に乗るために交渉をしている時、「言葉がおかしい」と思った船頭が半鐘を鳴らしてしまい、あっという間に村民が集まってきました。
13歳で生き残った少年は「2,000人くらい来た」と証言しているそうです。
実際には200人程度だろうけれど、少年にはそれくらいに見えるような状況だったのではないかとのことです。
日本人だと言ってくれる人もいたけれど、結局は胎児を含めて10人が犠牲になりました。
この事件の背景には、民族・職業・部落への根深い差別があります。
差別意識は誰にでもあります。
そしてそれは醜く、どんどん広がっていきます。
その最たるものが戦争です。
差別しないためには「自制心」と「学習」が必要だと辻野さんはお話されました。
今、もう一度同じことが起きてもおかしくないような状況にあります。
100年前にたまたま起きた事件ではありません。野田の人々が特別に残虐な人々だったわけでもありません。
虐殺を防ぐために何をしたら良いのか、私たちは考えていかなくてはなりません。
「みすぼらしい身なりをした行商人の一行」
辻野さんが『福田村事件』を発行したことで、執拗な抗議を受けたそうです。それは行商人たちのことを「みすぼらしい身なりをした」と書いたことに対する抗議だったそうです。
殺された方々が部落出身者だったということもあり、「みすぼらしい身なり」というのが犠牲者を貶めている、辱めているというような抗議だと受け止めました。
これは編集者の片岡さんが話してくださったことですが、「行商」について研究している方がいらっしゃるそうで、その方のお話によると「行商」という仕事は中間マージンがとられないので結構儲かる仕事なのだそうです。でも身なりを良くしていると、「お金持っているんだな」と思われてしまい、商売がしにくくなるし危ない。お金を持っていそうに見えない格好をして売り歩くのも大事なポイントだということでした。
なので辻野さんが「みすぼらしい身なりをした」と書いたことは事実を描写しただけで、抗議を受ける筋合いはないように思いました。
この描写は今売られている第三刷からは削除しているそうです。
真の「解決」とは?
もう一つ心に残ったのは、参加者の「この事件は解決しているのか?解決していないとしたら、どうなったら『解決』したと言えるのか?」という質問に対する片岡さんの回答です。
「教科書に載ることではないか」と片岡さんは答えたのです。
事件がなかったことにされないこと、議論され、考えられるようになることだと。
辻野さんは「日本政府は調査も謝罪もしていない。虐殺自体を認めていない。ある研究者は『恥の上塗り』と指摘している」と話してくださいました。
やはり「あったことをなかったことにしてはいけない」、それに尽きるのだと感じます。
辻野さんの落ち着いた、丁寧なお話は心の中にスーっと入ってきて、その通りだなぁと思うことしきりでした。
とても良い講演会になりました。
辻野さん、片岡さん、ご来場くださった皆さん、ありがとうございました。
三郷吉川ぶんかむらのみなさん、お疲れさまでした。