ベトナム枯葉剤被害学習会

2024年09月26日

22日(日)は来月22日に開催する「ベトナム戦争枯葉剤被害者支援 ベトナム アンサンブル チャリティ コンサート 2024」のプレ企画、ベトナム枯葉剤被害学習会を開催しました。
IFCC国際友好文化センターの田中さんが、ベトナム戦争と日本、そして枯葉剤の痕跡についてお話しくださいました。

ベトナム戦争と日本

東京都北区にはもともと旧日本軍の施設が多く、十条・赤羽は「軍都」と呼ばれていたそうです。戦後は米軍がその施設を使用し、王子野戦病院ではベトナムで負傷した兵士の治療や、亡くなった兵士の死に化粧をして本国に送るなどの役割を果たしていたそうです。南方での戦争なので、感染症もかなり多かったそうです。
相模原には戦車の修理工場があり、修理した戦車を幌もかけずに砲塔をむき出しにして一般車道を通り横浜港から再度ベトナムに送ろうとされていたそうです。
野戦病院にも戦車の一般車道走行にも大きな反対運動が起きました。
日本は確かにベトナム戦争に自衛隊を派遣することはしなかったけれど、トイレットペーパーや食料なども含めアメリカの補給基地でした。沖縄の米軍基地・経済的援助、ベトナム戦争で果たした日本の役割はとても大きかった!!!

枯葉剤とは?

ベトナム戦争でアメリカが用いた枯葉剤をアメリカは「除草剤」「人畜無害」と説明しているそうです。危険だと認識しているのは製薬会社の幹部と政府のごく一部。
しかし実は「生物化学兵器」として開発されたもので、太平洋戦争中にはすでに開発されていました。本当は日本に撒く計画もあったそうですが、原爆が開発・投下が優先されたので撒かれませんでした。
枯葉剤は分解し辛い性格を持っています。

アメリカは風のない朝方に枯葉剤を撒きました。そして木々が枯れると今度は火炎消火器でそれを焼き、砂漠化を狙いました。
枯葉剤の影響で私たちがよく知っているのは、ベトちゃん・ドクちゃんだと思います。枯葉剤には催奇形性があり、奇形の子どもが多く産まれていることも私たちの良く知るところだと思います。
ただベトちゃん・ドクちゃんの両親は決して枯葉剤を直接浴びたわけではなかったということは、今回学んだことでした。
ベトちゃん・ドクちゃんのご両親はベトナム戦争終結後に、その地に移り住んだ方々でした。
散布された地域では土壌に枯葉剤がしみ込んでいて、地下水にも栄養を与えています。そこで採れた野菜や魚などが影響を受けていて、川で捕れるナマズにも奇形が見られるそうです。
そしてそれを食べる人間の身体の中に取り込まれ、そうして生まれたのがベトちゃん・ドクちゃんだということです。
そして枯葉剤の催奇性により、今も三世四世の被害者が生まれ続けています。

それが本当に経済支援か?

一番腹が立つのはモンサント社です。
ベトナム戦争で散布された枯葉剤を作ったのはモンサント社。そのモンサント社が今、ベトナムの経済発展のためにと言って遺伝子組み換え技術を持ち込み、そこでまた利益を得ようとしているとのこと。
人体への健康被害が懸念される遺伝子組み換えを、自ら開発した枯葉剤でさんざん健康被害を与えたベトナムに持ち込むという恐るべき商魂。
とても怖いです。 

日本の枯葉剤の問題

日本でもかつて国有林に枯葉剤が使われていて、昭和47年に労組の強い反対でやめたそうです。
大量に残った枯葉剤をコンクリートで固めて、フレコンバッグに詰めて全国42市町村の国有地に埋めたそうです。近年の土砂災害の多発やフレコンバッグの貸与年数・劣化の問題などもあり、地下水への流入が懸念されます。PCB]カネミ油症事件も実はダイオキシンが関与していて、下北半島で奇形猿が多発したのもダイオキシンということで、枯葉剤の問題は私たち日本人にとっても全然無関係な問題ではないということもよく分かりました。
今回私たちが取り組むベトナム枯葉剤被害者支援、チャリティコンサートの大切さを改めて認識しました。みなさん、ぜひご来場くださいね。