ヤングケアラー研修会
吉川市社会福祉協議会主催「ヤングケアラー研修会」に参加しました。

最初に基礎講座「ヤングケアラーの基本的な理解」を一般社団法人ケアラーワークス代表理事の田中悠美子さんからお話しいただき、ヤングケアラーとしての体験を持つゲストスピーカーの方がお話してくださいました。
そのお話はとても具体的で、胸に迫るものがありました。
子どもでありながら家族のケアを最優先にする生活。
どこかに何か感じていないわけではないけれど、家族のだれも悪いわけではない。ケアが必要になったご家族も好きでそのような状態になったわけではないし、他の家族も誰もがみんな自分のできることを精いっぱい頑張っている・・・。
そういう中で頑張りながらも、どこかに息苦しさがある・・・。
そんな気持ちが理解できる気がします。
いちばん思ったのは、誰かゲストスピーカーさんの話を聞かなかったのかな?ということでした。
どんな気持ちでいるのか・・・。
もしかしたら、その時はゲストスピーカーさんも何も言えなかったかもしれません。
子どもだし、大切な家族のことだし、何も言えなかったかもしれません。
が、寄り添う誰かの存在がとても必要だったのではないかと感じました。
20年ほど前のお話で「ヤングケアラー」という言葉もない時代の話だったので、配慮する人が誰もいなかったのかなぁととても残念に思います。
お話を聞きながら、私はかつて出会った二人のヤングケアラーを思い出していました。
高校を卒業と同時に決まっていた就職も断念して、認知症のお母さんのケアを押し付けられた女性でした。
高校を卒業したばかりの娘さんに、決まっていた就職も断念させてお母さんの介護が任されてしまったのです。
お母さんの認知症もアルツハイマーともピック病ともレビー小体型の認知症とも、もちろん脳血管性の認知症とも全然違い、他にみたことのないタイプの認知症でした。
発語は全くなく、意思疎通もほとんどできず、ただただ一日中家の中を歩き回っていました。
今思うと、お母さんがそういう状態になったことを家族のだれもが受け入れられていなかったのかもしれません。
ケアを押し付けられた娘さんは、夜になってお父さんが帰ってくると遊びに出かけて夜中遅くに帰宅する生活。
寝るのが遅いのでお昼近くまで寝ていて、その間にお母さんは徘徊して転倒したり排泄のトラブルを起こしていたり。
訪問するたびにいろんなトラブルが起きていて、その頃は私も訪問看護の仕事に就いたばかりだったので、毎日毎日ただただ悩む日々でした。
高校を卒業したばかりの将来を夢見る子どもが、突然ケアの中心的な担い手になる。
しかもお母さんに何が起きているのかもわからなければ、先々の展望も見えない・・・。
あの時、あの子は本当にしんどかっただろうと、今改めて思います。
あの時私にできることは何だったのか、もし関わるのが今だったら、私に何ができるだろうか。
苦しいけど、目の前にあるこうした問題に向き合わなくてはと改めて思いました。